「本当はトルコの隣はギリシャじゃなくて日本だったらよかったのに!」
っていう人もいるくらい、日本人びいきなトルコ人。
さらに、トルコ国内では、日本語を話せる人が多かったり、小学校で日本びいきとなったきっかけの人物についてレクチャーしていたり、と、本当に日本色が強い。
ちなみに、一番好きな国は?の質問に、堂々第1位が、日本。
ちなみに2位がギリシャで、3位がイタリアだったそうです!
何故、そんなに日本びいきなのでしょうか。
それには、130年前の偉業が関係しているということでした。
何が起こった130年前?
何故、そんなに日本びいきなのでしょうか。
ちょっとさかのぼりますが、19世紀末に、オスマン帝国(現トルコ)は、欧州強国との「不平等条約」に非常に苦しんでいました。
当時の皇帝アブデュルハミド2世は、同じように米欧との不平等条約で苦労している日本との友好関係を促進、両国案で「平等条約」締結を図ろうとしていました。
1887年に、小松宮彰仁親王が、トルコに訪問。
その返礼として、1889年7月14日に、軍艦エルトゥールル号の日本派遣が出向し、1890年6月に横浜港に到着したのです。
その軍艦エルトゥールル号が、なんと帰り際に、和歌山県沖で沈没・・・。
656人が台風の中、海に流されたそうです。
いち早く気付いた近隣の村の住人が救助し、69人は救われ、無事にトルコへ帰還しました。
「自分の食べるものにも困っているのに、全部分け与えて救ってくれた。」
救助されたその孫たちに、受け伝えられていました。
じつは、話はこれだけで終わりません。
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