ニューヨークの屋敷裕政さん。
実は、同志社大学出身。
その後すぐに芸人になったわけではなく、
どうやらテレビ制作会社のADとして働いていた時期があったんだそう。
テレビ制作会社って、入社倍率は高いですよね。
スゴイ経歴。
でも、なぜ一度就職したにも関わらず、芸人の道に進んだのでしょうか。
今回、調査し記事にしてみました!
ニューヨークの屋敷裕政の経歴プロフ
ニューヨークの屋敷裕政(やしき ひろまさ)
1986年3月1日
ツッコミ担当
ラジオ内の名前:屋敷天晴(やしき てんせい)
出身:三重県熊野市出身
学歴:同志社大学文学部社会学科メディア学専攻
同志社大学卒業後は、テレビ制作会社に就職。
なんと、『ネプリーグ』『ザ!鉄腕!DASH!!』ADとして働いていた時期もあったそうです。
王道の人気番組のADなんて、スゴイですよね。
芸人の中では異色の存在ですよね。
元々、興味があったのがテレビやバラエティの世界ということで、大学もメディア学専攻。
ある意味、一度目の夢をかなえたといっていい、テレビ制作会社ですよね。
でもそんなテレビ制作会社も、たった1年でやめてしまったと言います。
そこには何があったのでしょうか。
出典:https://mainichi.doda.jp/article/2019/11/28/1749.html
芸人の道に進んだ理由
入社直後の1週間は楽しかったけど、
2週間目からは多忙を極める
地獄のように状況が一変したそうです。
噂通り帰れない日が続き、
毎日のように怒られ、
睡眠はとれず・・・
怒涛のような日々だったのが伺えます。
屋敷:順調に働いて出世した未来を想像したときに、なんかテンションが上がらなかったんです。ということは、一番やりたいことではないんだなと思って。じゃあ一番やりたいことはなんだろう? と考えたら芸人だったんです。
仕事の空き時間に、個室ビデオに行くのが楽しみだったという屋敷さん。
個室ビデオって、AVですよね?( ´艸`)プププっ。
その時に、偶然見たM1の舞台裏を集めた映像。
それを見たら、急に涙があふれてきたとインタビューで言っていました。
M-1グランプリの舞台裏を集めたDisc2を観ていて。そうしたら急に涙が溢れてきちゃって。「あかん、俺はこっち側に行きたい!」と思ったんです。
限界まで来て、
ふと立ち止まった時に、
自分が本当になりたいものが
見えてきたんですね。
――社会人になってふと立ち止まったときに、やりたいこと・なりたいものがクリアに見えたんですね。
屋敷:うわっ、芸人かっこええ! って。
ある意味うらやましい・・・。
すぐに辞表を出したのかと思いきや、
すぐには辞表を出せず3日くらい後に出したんだそうです。
それから、NSCに入校し芸人の道に進んだのですね!
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は、元テレビ制作会社ADだったニューヨーク屋敷さんが、
芸人になった理由(わけ)を調べて記事にしてみました。
今回も、最後まで読んでくださり、
有難うございました。