スポンサーリンク
トルコの人は、寅次郎の精神を忘れていなかった
そんな、寅次郎の行いですが、その精神はずっと受けつかれていました。
約80年後のイラン・イラク戦争の215人を救うのです。
昭和60年(1985年)3月17日、イラン・イラク戦争で、イラクのフセイン大統領は48時間の猶予期限以降にイラン上空を飛ぶ航空機は無差別に攻撃すると突然通告しました。世界中がパニックになり、どの国もイランに取り残された国民の救出に全力を注ぎました。日本はこの頃、戦争をうけてテヘランへの直行便はありませんでしたが、日本航空が救援機を飛ばすことになりました。ところが、組合がこれに待ったをかけ、飛ばすことができなくなったのです。
どの国も自国民を優先させていましたから、日本人はほかの国の飛行機には乗れません。
そんなことは当然かもしれません。
そんな状況の中、伊藤忠商事の森永堯(たかし)氏はトルコのオザル首相と親しくしており、オザル首相に電話を入れ援助を求めたそうです。
『エルトゥールル号の借りを返す』と言って、215人全員を救出するためにチャーター便を出してくれたのです。
実はこの時、トルコ人も600名も取り残されていたというから驚きです。
(600人は、トルコ大使館が用意した車で脱出したそうです。)
130年前に助けてくれたことを誰も忘れてはいなかった。
誰も反対も、文句も言わなかったと言います。
まとめ
これは、単なるスゴイ。という話で終わらないような気がします。
同じ日本人も助けに行けなかったのに、トルコの人たちは、尽力してくれた。
もちろん、きっかけを作った、寅次郎は、すごい人です。
偉人の一人といってもいいでしょう。
たしかに最初のきっかけは、寅次郎の武士道精神かもしれませんが、130年も受け継がれているその精神。
私は、トルコ人の130年たっても忘れないというそのトルコ人の精神もまた、すごいのではないかと思います。
そんな、トルコの人たちに感謝です。
9月16日とトルコでは追悼式典が行われているというので、ずっと日本でもトルコでもこの精神が受け継がれていくことを願います。